douro — 観念としての理解でなくpytorch...

観念としての理解でなくpytorchとかで手元で触った感触と統合してごちゃごちゃ把握してみているのだけど、本質的には人間側の態度も問題だしchatgptのあのインターフェースが寄与してるよねってなりますし「こだまでしょうか いいえ誰でも」という気持ちに。あと漫画大好き外国人向けの日本語ドキュメントを読んでうまくアテンションを適応する方法を考えているのだけど、あまりに口調という要素がコンテキスト依存で特殊で対応する表現が英語に少なく、コーパスはですます調に正規化してあげたほうがいいかもしれないなって

意味論として一貫性を持たせる部分においてですますでの正規化は働くだろうという一方、口調を用いた仕草みたいな部分をごっそりそぎ落とすので、対話モデルとしてこの部分のラベルを上手く作っておかないと片手落ちにもなるだろうな、と

douro

現代はこういったパイプライン的な考えを捨てる潮流でone shotな表現を持ちたいわけだが行列として巨大であることは学習モデルにおいて計算クラスタの必要性も同時に意味しており、それはあとからどうにもなるにせよ手元で実験したい気持ちと反してしまうもどかしさよ。やはり特化した線形フィルターとして考える必要があるだろうか

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