音楽と本とドラマと美術と子どもまわりと将棋
推しが負けたので一心不乱にSwitchで詰将棋やってた、推しの負けすら糧にして強くなってみせる
そんぐらいの気持ちでやってかないとつらくなるので私はこれでいく
実家で見つけたカセットテープを何が入ってるんだろ、と再生してみたら、松田聖子さんの歌声が聞こえた。波打ち際や陽光、星空、可憐な花などこの世のまばゆい景色が浮かぶような声とサウンド。多分80年代にリアルタイムで聴いていたら、私夢中になってたと思う。
虎に翼の、火水木の分をまとめて見た。試験を受けることすらできず去っていったり結果が出なかったり、仲間であっても手助けできないのが悔しくて悲しくて歯を食いしばりながら泣きながら見ました
過去の過ちがあっても、かつて一目置かれていても、評価は最後の在り方によるのだなあ、と道兼と道隆を見ていて思った。あんなに憎たらしいと思っていたのに悔しいけれど、道兼が救い小屋をもちろん公の財で担うと言ったからこの人は浄土に行ければいいと思った。
#光る君へ
道兼の倒れ方がすごくて、あご打っちゃう!!と思った。玉置さん…!
あの親子、皇子を生め皇子を生めって自分ができないことを偉そうに言うなよ滅びろと思いました
テレビつけたらクラシック音楽館やってて、井上道義指揮だったのでワァ!としばし見ていたらめちゃ素敵な曲だったのでそこから最後まで聞いた。ショスタコの舞台管弦楽のための組曲、だって。
花束って、きれいにリボンをかけられてる状態がいちばん美しいのだろうな、とは思うものの、早々にリボンやフィルムのドレスを剥がして水切りして花瓶に入れてしまう。無情かもしれないけれど。せっかくだからなるべく萎れないでいてほしくて。
花束って、きれいにリボンをかけられてる状態がいちばん美しいのだろうな、とは思うものの、早々にリボンやフィルムのドレスを剥がして茎切って花瓶に入れてしまう。無情かもしれないけれど。せっかくだからなるべく萎れないでいてほしくて。
水の張られた田植え前の田んぼの美しさを知ったのは、ほんの何年か前のことです。明るくなった夕方の空、鮮やかに咲くツツジとともに、5月の美しさのひとつ。
勝敗や、できたできなかったの結果は、本人だけが引き受けるのがいいと思う。ただ挑む姿勢を見つめて、寄り添える他者でありたい。
ブルーピリオドの、他人の勝利で何
酒飲んでんの?だっけ。時々思い出して、自分は自分を頑張るんだよ、って思う
虎に翼でよく出てくる「スンッ」て表現は、視聴者を信用してくれてるんだなあ、と思うけれども、私は意図を読めているか自信がない。娘にどういうこと?って聞かれてうまい言葉が出てこなかった。
虎に翼でよく出てくる「スンッ」て表現は、視聴者を信用してくれてるんだなあ、と思うのに、私は意図を読めているか自信がない。娘にどういうこと?って聞かれてうまい言葉が出てこなかった。
すずめの戸締まり見た。
3月10日までしか書かれていない、11日以降が黒く塗りつぶされた日記を見て、他に何の説明がなくても分かるくらいに、あの日が被災した人の人生を、被災しなかった人のその後すらも変えてしまったことを思った。
鈴芽さんが草太さんのブーツを履いて出発するところと、最後家に鍵をかけて、自転車の鍵を開けて走り出すところが好きだった。
中学生までの自分の字の汚さと書く内容に泡吹いて倒れそうになったけど、こんな自分と今も友達でいてくれてありがたい…としみじみしたし、やっぱりこの子好きだな―と改めて思ったので、傷だらけになりつつも読み返しといて良かったです
これを残したまま突然死んだら成仏できない、と処分することにした幼なじみとの子ども時代の交換日記。初めは「このノートカワイイよね!きれいな字で書こうね!」などとウキウキしているのに数ページしたら飽きて、早くなくして次のノートにいこうとかどのノートでも言ってて笑っちゃった
昨日と今日の虎に翼見た。
全部が凄まじかったのだけど、よねさんについての話は他の人からじゃなくてよねさんの口から聞くべきだと思う、とはっきり言ってくれたのが印象に残ってる。それってとても大切なことだと最近思う。