学習記録になりつつある!ドーナツの穴のところにあった生地を全て私にください!
その結果、僕が僕に課すアイデンティティをもとにしたルールはめちゃくちゃになり、上にも下にも右にも左にも前にも後ろにもどこにも進めないそういうマスの中で動いてる気分になるんだうな〜。マスは自由に動くが、僕はマスの中にしかいられない気分さ。ハハハ!ふざけた話だ。最近、ノートを書いた。「アイデンティティがめちゃくちゃ‼️」って話を、しかし、これは至極真っ当なのでは?と正当化している。キモい可能性をぼんやりと察知した。公開したいけど、できないかもしれない。ふぅだす、ふぅ。
B「好きだよ」
A「好き!」
B「好きだよ」
A「好き!」ですな ポイズン
一心同体なんてなりたくねえよ、きめえよ、拒絶、支配しないでくれる?僕を
らしい
そういう人はむしろ社会に邪魔すぎるだろうと思う。会社の経営理念を無視しがち。金を稼ぐだけのマシーンになると簡単に「死」という言葉がでがち。それから、たまたま生まれた分際で、たまたま生きてる分際だから、たまたまの連続ですでに今を今としてあるわけなのに、その今を安牌にするのはなんか、ダメというか、はあ、覚悟!キメろ〜(*^_^*)
人生というのは、ホントに一度しかないから、適当でいいんだよ。
ちがうんだ、キギョーは素晴らしい!働くってとんでもなく素晴らしいことだしかっこいい!でも、僕がやりたい仕事はこの世にない!なぜなら、この世にない理論を作ることが僕の仕事(にしたいこと)だからだ!つまり、仕事を自分でつくんなきゃならない、僕の場合!
と、一緒に赤字で、「何」「文章が不自然」「あいまい」「要約になってない」等さまざま指摘を受けて、まさに飴と鞭を食らって、久しぶりに快感を感じた。
そんな中で、ある人といるときだけはそいつが黙ってたりやなこと言わなかったり、というか、かなり統合された自己って感じになる時がある。そう言う人とは、多分いい関係が築けたりするんだと思う。つまりは、好きな人を好きなのではなく、好きな自分で入れる人が好きなんだ郎と思う。かこ、勘違いして、意味不明で、その乖離した自己によって声が出なくなったり、無意味のように感じてたぶん意味のある、つまり意味を自覚できない涙とかいろいろ流れた。そういうのは、好きな自分ではなく、ただ憧れとかそう言うのなんだろうと思う。つまりは、理想は理想でいいのだろうと思う。ローカルな場はきっともっと心もローカルに考えるべきなんだ。
さまざまな人間と日々話していて、まるで自分が別人のように思う。その中で、変わらない自分が1人俯瞰している気がして、いつもそいつが、「あー今すごく嫌なこと言ったね」とか「いいこと言うジャーン」とかそういうなんかそう言うこと言ってくる。間違いなく自分なのに、操作できなくて、そいつにかなり振り回される。
ぼくはこう見えて、かなり他人の影響を受ける。それは、なんでかわかんない。たぶん、他人を猛烈に恐れている。守るために必死で、最低で、とんでもない行動をする。平気でする。だから、何をされても特に何も思わない。僕の血が出ないんだったら、何をされても何も感じないのは、その有象無象に対して漠然と感じている見返りだ。たぶん。
あとは、青空文庫だと、やっぱり光が伴うし、今もだけど、はあー!光は苦手なんだよ。例えば日陰からみる日光は好きだけど、日光には浴びたくないとか、いやそれも時々は浴びたいんだけど。普段、モニターを10時間くらい見る生活をしているけど、正直、苦手。よく紙に印刷して読んだりする。プログラムもさ。ははは。
で、思ったんだけど、太宰のはきっと本を買うべきだ。青空文庫だとやっぱり光を伴うからなかなか読む気にならないや。読みたいのにさ。
あとは、宇多田ヒカルが耳から聞こえてたはずなのに、忘れていて、今やっとそのことを思い出した。
あとは、その言葉も悩んで言語化できないんだよね。みたいなことが書いてあって、さらに読みやすい。気がする。完全に伝わらないことを前提に置かれると、安心できる。わからないことが正当化されてる気がする。あとは、堂々巡りの思考をしてしまうって言っていて、ふふふ、私と同じじゃんってなってたのしかった、いや、非常に悩んだ。
読めている事実が、まず、私としては結構驚き!えっと、なんだっけ突撃隊?は、私の中では小太りな冴えないやつなんだけどさ、村上の説明(いや、違うな、えっとなんとか君の説明)によると、細くて頬骨が出てて、デカいやつらしくて、いや〜そのようなディテールをイメージするのはかなり難しい。に対して、直子は可愛いなあ。えっとさ、なんだか、脳の中を言葉にされてるみたいで、読みやすいや。こりゃいいね。
え!僕の話でもあるの?はっきりさせたい気持ちもあるけど、わからない、私もツイッターは雑を極めているから、曲がどうのこうのってのを読み間違えたのかな。て、せんりさんの曲もこの世にあるっちゅうこと?!ヤバいね!
それは、根底として、私は写真を舐め腐っていることがあると思う。例えば、美しいものの写真を撮ったとしても、それはなんだか美しい証明に感じないからだ。ざんねんだ。写真に写ったものを疑いがちなのだ。だから、完全な写真も不完全に感じる。しかし、それを完全と受け取られたりすると、バグが発生して、頭がウオ〜!になっちまって、だから、元から不完全にしておくんだー!不完全なやつは、不完全らしく!(んーこれはなんかダメ?)わかんない。写真は好き、動画も、好き。しかし、難しい!本当ぽいからね。
なのに、ルジャンドル陪関数はassociated legendre polynomialsなんだよね。関数だけど、多項式に寄ると、準多項式的な?のになるってことなの?かなあ。たしかに、ルジャンドル陪関数って、多項式だけど、展開が素直じゃないし、美しいけど、なんてんだー!むず!まあいいや、modifiedをちゃんと知れてよかった!
幼馴染ってほどでもない!小学生のころ家が近所で、親が同じ職業で、境遇が似てて、よく遊んだんだ。高校は全然違うくて、中学も部活が違うくて、6年くらい全然コミュニケーション取ってなかったけど、大学も違ったけど、なんかばったりして!ずっと仲良いって勝手に思っている友!ひい!
オイラ、思い返せば英語の点数はいつも最悪だったし、義務教育みたいなのでみんな結構話せるようになるのかも。日本人って英語うまいよねってよく言われるけど、オイラん英語はほんとに奇妙 くそがよ!きみょうってかはなせはき!だから、話すアプリで英語話した!今日!
って感じで、hiとかheyとかyahとか言っていたら、すごい量のメッセージ(ENGLISH)が届いていて、後悔の嵐だピヨ。アルファベットのタイピングほどだるいものない。で
英検は日本で生きてくなら絶対便利だよ。失効しないし。TOEFLって、スピーキングもあるがちな方でまあまあよかった?なら、もう外資いけよ💢
TOEICは簡単だし、いや、むずいが、900点とかはめっちゃ箔がつくよ。
こういう、コミュニケーションは、よく彼氏がいるもの同士のやつみたいな気がする ぼくはあまりしたことないが、彼氏の相談をしあう人たちみたいな雰囲気だ それぞれ自分の中に自分がいて、その人の相談(というか悩み)を言い合ったりしているにすぎない コミュニケーションのようであまりコミュニケーションでないのかもしれない しかし、わたしは刺激をもらったり、新しい考えをもらったり、素敵な言葉だとか、いいなってモヤモヤした何かを感じる その人は明確に私の言葉を覚えててくれるようで、嬉しい こう言うコミュニケーションもありなんだ 大好きだ 結婚したい
気がする 僕から見た世界にすぎないけど
それから、他者って感じがするのは僕が苦手なことを好きだったりもする、毛嫌いしていることを好きな人が好きだから、いいんだって思ったりもする、自分に回帰して世界を広げようとできる 嬉しい気持ちになる 毛嫌いは無意識下だから、意識の範疇に持ってきて自覚し、それをどうするか意思で決めれる
例えばこれが、他者って感じじゃなく、共感の沼と問題意識の共有、相互的な問題解決の意欲に溢れていたとすると、破綻している気がしてくる なぜ他者かと言うと、それは同じ問題をそれぞれが抱えていて、その意味で同志だからだ 解決したさに溢れている 最近はこう言うふうにアプローチしたけどダメだったとか、次はこうしたらうまく行くかもとか、そういうのをしていふ
😴 。o○(言語化可能な範囲で考えているにすぎない。言語化可能な範囲は、その人の世界の全てかもしれないけど、それは世界の全てじゃない。宇宙には外がある。言語化可能でない、不可能な世界の存在を認めてないように見えて、嫌だった。私が大切にしたいのは、世界を正確に認識することだ。それは、私から見える世界には認識不可能な世界もあるとかそういうのだ。)