学習記録になりつつある!ドーナツの穴のところにあった生地を全て私にください!
愛されてたほうが、幸せではありそう。だって愛してるほうが幸せだし、愛されるってことは自分のものでないにしても誰かの愛が存在する場なわけで。でも、これはぽくの欠落した部分かもしれないが、ガチの本気で愛されたと思う経験がない!これからも感じれる日が来る想像が全くつかない!
マジできしょすぎんだがさー、ほんとにみんな可愛いと思うし、ほんとにみんな幸せになってほしいと思うというかもう協力的でいたいと思うほどに好きで、みんなってのは本当は嘘でもっと個々に、個別に、そう思っている。
できるのにやらないのは、どこかで面倒くさがっていたり、諦めていたり、それより大切な(ほんとうに?)何かを抱えていたり、自信がなかったり、プライドが邪魔をしていたり、するだけだと思う。できるのにやらないのは、もったいなくてもったいなすぎてぽくはもったいないばあさんになりそうになる。
キミはなんでもできる、なにものにもなれる、何歳でも、男でも女でも、どこにいても、ここにいても、どこかにいてもね。
やりたい、その心を大切に、大切に命を使ってほしい。それが丁寧に生きるという意味だと思う。丁寧に生きてください。
身体的に不可能であることとか、制度として不可能であること以外、全て可能の範囲内にあると思う。可能の中にある「できない」はできる、やらないのはやらない選択をしているだけだ。それをあたかも不可能かのようにいうのは傲慢だとおもう。可能の中にある「やりたい」はやれる、やるのを諦めなければやれる、不可能でないから。そして、やりたいことはやるべきだと思う。それが生まれてきた意味になり得る可能性があるから。
ぽくん所属の大学には、〇〇大学新聞とかいうクソ思想の強い新聞が学生主体で発行されていて、末端である我がケンキュー室にも届くのです。そして、ケンキュー室でタコパなどをするとき、そいつが真っ先に机を汚さないための下敷きとなるのです。去年の大掃除んときにも大活躍でした。
まぁまぁ大きい望遠鏡を小学生の頃に買い与えてもらったのだが、好奇心旺盛すぎたのか新たな観測方法などを編み出したり解体したりして遊んでいたらブッ壊れた。
記憶がない頃から聴いてる、それは親が聴かせていたから、アンパンマーチとエンヤを交互に聴きながら、家庭用プラネタリウムを見て(星好き少年少女時代を送っていた)、作られた流れ星を見つけるまで眠らないぞ!と毎日意気込んでいた、そのような思い出がある、その頃は特段気に入ってたわけではない、親が聴かせたのはキッカケにすぎない、自ら再生しいいなと思った時、それが気に入った瞬間だったと思う。現に、親がいくら聴かせても気に入らなかった曲もあるわけで。
好き(🍣)なもの
一位がぽくん脳みそ
二位が他者の脳みそ
つまり、科学/哲学/音楽
余談:音だけ学んでない面白い
三位がコミュニケーション
つまり、教科書/論文/食事/芸術
余談:一方的なのもある
ほんとはね、水たまりの上をジャンプしたかったのだけど、昨日は避けちゃったんだ。元気はあるけど脳みそにエネルギーを持っていかれていて!だから、うねうね歩いた。うねうね〜うねうね〜
何をウジウジしているのか‼️‼️‼️
SAKURAドロップスごときで(ごときで?ごときで?え?ごときでって言った?「ごときだ💢」)
ヨウシ、ケンキュー室に行く用意をする。あと一回SAKURAドロップスを聴いたら。
SAKURAドロップスを真面目に聴くだけで涙できるスノは共感性があまりにも高いすぎるのでは?と不安になるんだ。でも、共感性が高いこと自体は悪いことじゃないと思う、人と人がわかり合おうとする(不可能なことをしようとするの面白い)とき共感らしいものは便利だし。なにより、碇シンジくんが共感性が高い先輩だし。共感性が高くて危惧すべきことは、自他の境界を明確にしておくこと、だけだとおもうし。
でも、宇多田ヒカルがそのような心境にいたり曲を作り歌い…と思うと私の中の何かが共鳴してウ〜( ; ; )ってなる。つまり、それ(宇多田ヒカル)とこれ(私の中の何か)は関係なく単純に自分のことで泣いてる。
すごいところ
⚫︎ 本当にそれとこれとは関係ない
⚫︎ 好きであることは完全に独立し、それのみで完結する
⚫︎ どうしようもない
⚫︎ でも、やっぱりそれとこれとは関係ない
ハードだと思っていたものがヘッドだった。なぜこれで試験に受かったのか意味がわからない!!!逆にすごくない?それこそが、試験がいかに無意味かを物語っている。
友への返信を渋っている(どうして?「いい言葉が思いつかない」いい言葉?感じることをそのまま言えばいいよ「なにもかもを感じるしなにもかもを感じない」それは不思議だね「うん。こまった。無視していると思われそうだ」そうだね。仕方がない、かもしれないね。だって妥協した返信は最も嫌っているし。「うん。」)
脳神経内科の診察券はどうやら病院が持ってた(持ってた?私が忘れた?)らしく、再発行手数料を払わずに診察券を手に入れられました!ヤッター^ ^
どうか、碧天だけは澄んだままの碧を貫けるよう、ぼくはやっていきたい。それは、どのような意味かと言うと「素直でいる」「真っ直ぐでいる」「大切にする」ってことだ!それは、なんだっけ、何が言いたかったんだっけ、忘れちゃった。あ〜あ!!
ひらがなに、「う」や「にゅ」「ぷ」「へ」「よ」がなくて非常にものたりなかったが、まあまあ楽しかった。問題は難しかった。同期は流石の頭脳で解いていた。