アメリカにいるとき、思ってたこと。
私が好きになっても迷惑だよね。
英語下手だし、アジア人だし。
人生でこんなに疲弊した1週間はなかった。心が疲れた。わたしよく生き抜いた。本当によく生き抜いた。
私が私を好きって言ったことあったっけ?
「良い評価」をしたことはあっても。
すごいのかな。すごいかはわからない。でもわたしはすごく頑張った。ものすごい頑張った。疲れた。
好きになったらいけない人を好きになった。早く成仏してくれこの感情。
今までは、恋人を信じていた。恋人が大丈夫、頑張ってる、という言葉で自分が大丈夫だと思っていた。もう私が私を信頼していいかもしれない。
なぜかわからないが、恋人はいないのに、恋人ができて安心しきっている時の心の状態。私は大丈夫だと思えてる状態。慣れないけど、今まで恋人に依存してたものを自家発電してるんだろう。
暇だから整形したい。しかし予約は思い通りには取れない。金がない。
お腹は空いてるので無理やり食べたけど胃が痛くて死にそう。でも十分食べられてないからまだお腹は空いてる。どうすれば。
やばい、胃が食べ物受けつけない期になってる。なんでだ。昨日まで普通に食べれてたじゃないか。
明らかアップセルするところがなくてチェーン店ドクター困っててわらう
人外フェイスが人になる程度だけど、それでも一つずつ自分を好きになれるから美容楽しい。でも痛いから直後は私が人外だからこんな思いをしてるんだと思って鬱になる。本日も注射いくつか頑張るぞ。
この謎の自信を言語化できなかったけど、私は「プロセス」を信頼できたんだ。私の人生に起こったこと、これから起こること、全部起こるべくして起こることしかないし、私の選択もすべて他の選択はない、というサレンダー感。私はどの瞬間も、手抜きしてない。しえない。
もっと世界を信頼しなよ。でも、世界を信じることは自分を信じることなんだよな、と相手に対して思ってたけど、本当は私が私に言ってる言葉だったんだな。私よ、もっと私を信じなよ。私だよ?ほかならぬ、私だもの。なんとかなるでしょ。
ねえ、あなた、私のことだいぶ好きでしょ。だいぶ依存してるでしょ。わかってる。大丈夫。私も同じくらい大好きで、依存してるから。愛じゃないよ、こんなん。それもわかってる。
悲しみがあったから、悲しみの感情を引き出す物事を引き起こしてる。私は悲しいのだ。だってもう、完璧に賞味期限だから。哀惜の情に囚われず、さっさとさようならするのが一番なんだよ。
どれだけ頑張ってもブスはブスでしょんぼりしてしまう
あ、溜まってるな、という寂しさに勇気を出して目を向けてみると、とにかく悲しくてバッド入ってしまう。でもこうやって直視しないと感情を洗い流せないから頑張って悲しむ。しんどい。
私一生このままでいるつもりなんだろうか。誰とも深く付き合わず向き合わず、自分痛めつけることを楽しみながら生きてくんだろうか。
美術館に行く男が嫌い。カルチャーぶってるのがいけすかない。たいていセンスない。生きることをナメて気取ってるやつばっかり。
毎日笑顔で。みんなに優しく。希望を持って前向きに。ーーばっかばかしい。人生なんてワニに喰われてしまえ。
疲労→漫画読む気にならない→映画見る→脳疲労爆死
もうなにもするなというのか😢
例えるなら私は花壇を持っていてたくさんの花を育ててるんだけど「綺麗でしょ?あげるから愛してね」とばら撒いていた。だから花壇はずっと禿げている。その人は私の花をもらうだけもらって愛してくれやしない。
なんてみっともないんだろう。もうお花をあげない。「綺麗な花壇だね」とただ一緒に眺めて愛でてくれる人がいるはずだもの。
まぁいっか。これで返事ないならしょっぼい男と縁切れたって思うしかない。
ちょっとは私がいないこと悲しんで思い出してよ。愛情注いで全く意味がなかったなんて思いたくないんだもの。
私はちゃんと人を愛せる人なんだ。私ってすごいんだ。そういう自信。
これで終わりかもしれない。けど私なりに愛したんだな。よかった。私なりにちゃんと愛せた。これが私なりの愛し方だったんだ。
彼女と別れるつもりないくせにガチ恋してんのまじでおじさんムーブだって。
ばかだなーセフレ。ガチ恋プレイはつまんない未来しか呼ばないよ。
会いたい会いたい。会いたいし好きって言いたいし、たくさんくっつきたい。
一人を楽しめる人が幸せな恋愛できる、寂しさを埋めるために恋愛するんじゃないとかいう言説なんなんだよ。普通に寂しすぎて死ぬ。
嘔吐したい。でも私は嘔吐ができない子。胃の中全部出してすっきりしたいのに指の突っ込み方がわからない。
趣味なさすぎて暇だとつい次の施術考えて軽率に予約入れてしまう。
受け入れてくれる人もいれば、受け入れてくれない人もいる。それはそれぞれ。でも受け入れてくれた人が心変わりすることもあるじゃん。それもそれぞれだけど。
だって怖いもん。受け入れられなかったらどうしようって。お願いして、頼って、手を伸ばして、受け入れられなかったら怖いじゃん。
どうして私は一人なんだろう。たぶん、子どもの頃から思ってること。
英語がわからなくておしゃべりができない、遊びがわからない、ノリがわからない。日本に帰ってもノリがわからない。みんなと同じようにしたかったのにできなかった私を私が見捨てたんだ。わからないから教えてという勇気もない、私はこういう人だからという勇気もない。ひたすら、なんでみんなができることができないの?って。
「みんなと同じようにできない自分」を嫌悪して見捨ててたんだな
さいなら。君ももういらないよ。今までありがとうね。大好きだったよ。